とある元航空自衛官の☆忘月忘日☆

防府南基地

昭和54年3月に航空自衛隊に一般空曹候補生として山口県防府南基地に入隊しました。
空曹候補生は西は防府南基地、東は熊谷基地と2箇所に別れてそれぞれ2個中隊、400名かな。
4ヶ月間の基礎訓練と適性検査を終えて第1〜第5術科学校へ。
私は芦屋基地の第3術科学校の中級設備機械専門員課程へ入校。

芦屋基地

同期は熊谷基地から来た2人と合わせて5人です。
3ヶ月の術科教育の後、初任地へ。
私は沖縄出身なので雪が見たくて北を希望、1番北は青森県の大湊分屯基地でした。
北警団第42警戒群基地業務隊施設小隊に配置されました。
弘前市出身のもう一人と赴任しました。
野辺地から下北半島へ向かう単線に乗り換えても安心していられたのは同期のおかげかな。

大湊分屯基地

大湊分屯基地は第42警戒群と6高群の指揮所運用隊が有り、42警は群本部、監視管制隊、通信電子隊、基地業務隊が有ります。
業務隊の施設小隊設備機械員として3年間雪の中で勤務しました。
途中昭和56年1月〜3月まで空曹候補生後期課程で3ヶ月ほど防府南基地へ教育入隊しました。
無事に卒業して晴れて3等空曹として大湊分屯基地に戻って来ました。
それから1年くらいして施設小隊長から「☆ATAЯU☆3曹、君はマイコンやってると聞いたけどコンピューターに興味ある?」
 「はい、有ります。」
「空幕施設課から施設の事務機械化要員の話が来ているけど希望するか?」
「はい、希望します。」
と言う訳で空幕のある檜町へ転勤になりました。

檜町基地

航空中央業務隊電算機処理科に配置されました。
檜町基地には空幕(航空幕僚監部)を初めいくつかの航空の部隊が有りますが航空中央業務隊とは檜町基地の基地業務隊みたいなものですね。
補給科、会計科、厚生科、輸送科、業務科。
電算機処理科・・・?
空幕に人事、会計、施設等のデータを電算機で処理して資料を出すのが業務だそうです。
人事管理作業科。
ここは航空自衛隊の試験問題の作成が業務だそうです。
施設の事務機械化も無事に進み後輩も来たので特技も設備機械から電算機処理へ変更。
上級電算機処理員の課程で第5術科学校(小牧基地)へ2ヶ月ほど入校。

小牧基地

上級電算機処理員の課程は総隊(BADGEシステム)、補給本部、補給処、幹部学校、飛行開発実験団や人事・会計等の後方システムからも入校してきます。
同じ電算機処理員でもやってる事は全く違うなぁと思いました。
σ(^◇^;)

市ヶ谷基地

防衛省の市ヶ谷移転に伴い空幕も市ヶ谷に移転。
航空中央業務隊も市ヶ谷基地に移転。
檜町の古い建物から市ヶ谷の新しい建物へ。
地上200mの市ヶ谷タワーにも登りました。
3回目の換装の後、支援集団司令部への転勤が決まりました。

府中基地

支援集団司令部飛行運用課指揮所管理班指揮システム係。
支援集団指揮システムの立上げ要員と言う事らしい。
今まで人事・会計のデータしか扱ってませんけど・・・何とかなるでしょ。
途中、飛行運用課から指揮システム係は通電課に配置換え。
指揮システムの換装後、通電課長から☆ATAЯU☆曹長もそろそろ沖縄に帰さないといけないなと言われました。
いえ課長、お言葉ですがもう転勤の話は決まりかけていますので余計な事は言わないでください。
┐(​'~`;)┌
気がつけば入隊してから早、25年。
マザーベースの那覇基地へ転勤。

那覇基地

南西航空混成団南西航空警戒管制隊南防群警戒通信隊プログラム班。
電算機処理員の配置はそこしかないと言う事でそこ。
σ(^◇^;)
勤務地管理上、那覇基地は最長9年だけど定年まで10年、1年はオマケしてください。
1年後、准曹士先任が定年のため総括班へ配置換え。
警戒通信隊の准曹士先任として無事に定年退職しました。

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