40年前の檜町の電算機処理科の電算機室には市ヶ谷の補給本部のACOSの分散処理装置N4700がありました。 コンソールの他にペンタッチの和文タイプライターみたいなキーボードの漢字の入力装置、8インチのフロッピーディスクドライブが4台付いてました。 漢字の名簿用のページプリンタが1台、市ヶ谷のホストコンピューターで処理したデータをB4の横書きで出力する。 1ページ1分、縦書きならもっと早いが横書きに直すのに時間がかかってます。 シリアルプリンタがコンソール用に1台、カナの名簿や数表の出力用に1台の計2台。 業務用のエアコンが1台。 檜町〜市ヶ谷間のデータ転送もかなり時間がかかっていました。 当時はまだ一般の電話回線はISDNも無くパソコン通信もモデムでしたね。 17:00までにデータ転送を終わらせた班長は「☆ATAЯU☆後は頼むね〜」と言って数百ページの名簿の印刷を残して帰って行きました。 檜町の営内者の私は用紙の補給やトナーの補給をしつつ翌朝までに数百ページの名簿を班長の机の上に置いてました。 ┐('~`;)┌
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